吉徳これくしょん vol.09

 
博多人形 爪弾き

 現在では稀な存在となりましたが、昔は全国各地で素焼に彩色を施した土人形が作られていました。型抜きによる大量製作が可能な土人形は安価なこともあり、庶民にとっては最も身近で親しまれた人形のひとつであったといえましょう。
  江戸から明治にかけての土人形のなかには今日では民藝としての評価の高いものもありますが、雛人形や武者人形など、節句人形の類が多かったために、明治以降、それまでは高嶺の花であった豪華な裂の衣裳を着た人形が庶民にも普及するにしたがい、次第に衰退していきました。

  ほとんどの土人形産地が古くさいものとして取り残されていくなかで、近代化に成功した唯一といってよいほどの産地が博多でした。 博多は土人形の産地としても早くから優れた人形を生み出していましたが、その明治以降の発展には眼を見張るものがありました。 博多の人形師たちは、当時一流の画家や彫刻家の指導を受けたり、解剖学を学んだりして、鑑賞に堪え得る芸術性の高い人形や、 歴史教材として用いる時代風俗人形などを作り、土俗的な土人形からみごとに脱皮したのです。

  今日、博多で作られる土焼彩色の人形は「博多人形」の名で全国的に知られていますが、その礎を築いた人形師のひとりが、小島 與一(明治19~昭和45年)です。 明治の名工・白水 六三郎に学び、パリ万博で受賞するなど、若くして名人と謳われ、多くの門下も養成しました。

  人形師としての活躍はもちろん、その人間的魅力から火野 葦平の小説のモデルにもなった小島の作品はどこか独特の色気と洒落っ気があり、今なお「與一人形」の名で愛されています。

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