人形の吉徳社長にインタビュー 吉徳の歴史編

江戸時代中期の創業時、吉德があった場所は人の往来が頻繁な浅草寺の参道沿いでした。この土地で300年。長い歴史の中には数え切れないほどの革新があり、それは現在の吉德に生き続けています。
そして、いま「12世山田德兵衞」が当主として、また新たな歴史を刻みはじめました。

いままでの吉德、そしてこれからの吉德――12世・山田德兵衞社長にじっくりとお話していただきました。

襲名は突然ではなかったので、ある程度の覚悟はできていました

襲名は突然ではなかったので、ある程度の覚悟はできていました

ーー平成19年に社長に就任し、平成22年に「12世山田德兵衞」を襲名なさいました。その襲名当時の率直なお気持ちをお聞かせください。

「平成21年に先代の父が亡くなったのですが、父が『11世山田德兵衞』になったのは先々代の祖父の1周忌。1周忌の法要を行う際、合わせて襲名もしたんです。私もそのときに親族として出席していましたので、1周忌というのが、ひとつの襲名の節目だとは思っていました。

ただ、父の場合は亡くなったのが4月27日という商戦中だったこともあって、1周忌は親族のみで執り行ったのですが、そのときに私の中には襲名披露もしかるべきときに行わなくてはという思いが当然ありました。そういう意味では、父が亡くなったのは突然ではあったものの、襲名は突然ではなかったので、ある程度の覚悟はできていたと言えます。

吉德の場合は、襲名がしきたりのようなものですから、襲名して当主になることには重みを感じるものの、社長就任時に既に責任の大半を負っていましたし、その後、襲名までに1年という期間があったことで心構えはできていた気がします」

自分は自分の任されたことを一生懸命やり、次の世代に繋げる

自分は自分の任されたことを一生懸命やり、次の世代に繋げる

ーー「山田德兵衞」は非常に大きなお名前でいらっしゃるので、それを襲名することは相当な重圧ではありませんでしたか?

「大きいかどうかは正直私には分かりません。確かに10世、11世と、自分に見える範囲だけ見ると大きいとは思いますが、血が繋がっていても、私が10世や11世と同じ『山田德兵衞』になれるわけではない。ですから、意識せざるを得ない環境ではありますけれど、先代、先々代のようにならなければというよりは、自分は自分の任されたことを一生懸命やり、次の世代に繋げる。そのことのほうが大事だと思っています。
おそらく2世以降の「当主」は、みんなそうだったと思うのですが、家業を継承するというのは、いわばリレーのようなもの。全部の区間の責任を持つわけではなく、自分の走る区間は一生懸命走って、しっかり次に繋ぐ。それが最低限やらなければいけないことだと思っています。これは、ある程度、代を重ねた家の方は、誰もが思っていることではないでしょうか」

創業300年にこだわりを持ちすぎるのも良くないという気持ちでした

創業300年にこだわりを持ちすぎるのも良くないという気持ちでした

ーーそれにしても300年もの長い間、吉德の暖簾を守り続けるというのは、並大抵のことではなかったと思います。平成23年に創業300年を迎えられたときは、どのようなお気持ちを抱かれましたか?

「会社としては大きな節目でしたし、ひとつの目標ではありました。ただ、目標であるもののゴールではなく、通過点にしなくてはならかった。ですから、あまりにもそこにこだわりを持ちすぎるのも良くないという気持ちでした。

それに吉德は1711年創業ということになっていますが、それはあくまでも「吉野屋」という屋号となった年であって、実際はそれ以前から店そのものはあったはずです。そういう意味でも、300という数字には、特別執着する必要はないのではないかと思っています」

日本人が子供の成長を祝いたいという考え方を保っていく

発表後の反響が大きく、まさに嵐のような日々だった記憶があります(笑)

ーーでは、日本の伝統や文化の一翼を担っている吉德を継がれたことによって、社長ご自身が大切にしなければいけないと考えていることはありますでしょうか?

「ひな人形、五月人形というものは、ひな祭りや端午の節句という行事があってこそ存在するものなんです。ですから、おおもとになっている伝統行事がなくなる、またはその意義が希薄になるとひな人形、五月人形もすたれてしまう。
現代は、そうした傾向が懸念されますので、我々の業界としても、日本人が子供の成長を祝いたいという考え方を保っていく、ひいては、さらに盛んにしていく方法を模索しています。

もちろん我々の業界ということだけではなく、日本人としても、ひな祭りや端午の節句を残していくのは大切なこと。物そのものに価値がないとは言いませんし、吉德は、それだけの対価を払っても手に入れたいものを用意することを心がけていますが、そこに至るまでの過程が失われてしまっては意味がないと考えていますから」

ひな人形、五月人形一筋だったわけではなく、玩具やお土産ものも扱っていた

発表後の反響が大きく、まさに嵐のような日々だった記憶があります(笑)

ーー吉德は創業当時から現在も本社がある浅草橋の地に店舗を構えられていたそうですね。その創業当時のことで、何か伝え聞いていらっしゃることはありますか?

「吉德本社がある場所は、創業当時も浅草寺の参道沿いでした。しかも参道のほぼスタート地点だったので、人の往来が頻繁な、いわゆる一等地だったのです。
当時は水運が物流の中心。今では付近に隅田川と神田川しかありませんが、江戸時代にはもっとあちこちに水路が張り巡らされていたので、それを通じて、いろいろな物が往来しており、そういうこともあってこの界隈はいまでも問屋が多いのだと思います。

我が家の先祖は尾張出身で、おそらく元禄年間に江戸に出て来たと思われるのですが、元禄というのは、世の中が安定してきて江戸文化が成熟し始めた頃。やはり当時から江戸は人も多く、商売をするにはいい場所だという認識があったため、一旗揚げようという商人が各地から来たのだと思いますし、先祖も商売をするには今の場所が最適だと考えたのではないでしょうか。

古い記録にも残されているのですが、吉德も最初からひな人形、五月人形一筋だったわけではなく、玩具やお土産ものも扱っていた。きっと、この周辺の店舗のいくつかはそういう状態から出発し、徐々に形を変えていったのだと思います」

吉德を象徴する言葉として、長く残っているのはとてもありがたいこと

鎧飾りをアレンジしただけでは完全なオリジナル商品としては弱かった

ーーそういうお話を伺うと、ますます吉德の長い歴史を感じます。ところで、吉德といえば「人形は顔がいのち」というキャッチフレーズが有名ですが、11世がお書きになった著書『語りかける人形たち』によると、これは11世とCM制作会社の方との雑談から生まれたとのこと。このときのエピソードを直接11世からお聞きになったことはありますか?

「このキャッチフレーズが出来たのは、私が生まれる前の出来事だったので、私も詳しくは知らないんです。
ただ、非常に広く受け入れられたキャッチフレーズだとは思いますし、吉德を象徴する言葉として、ここまで長く残っているということは、とてもありがたいことだと思っています」

ダイアナ妃と握手した手を洗わずに帰ってきてくれたので、
代わる代わる握手を

襲名は突然ではなかったので、ある程度の覚悟はできていました

ーーさらに『語りかける人形たち』の中で印象的だったのが、ダイアナ妃が来日された際のエピソード。ダイアナ妃と握手した11世の手をご家族が順番に触られたという話が載っていて、とても微笑ましく感じました。

「ダイアナ妃が日本にいらした際、迎賓館に人形や茶道、華道など日本の伝統文化を象徴するブースを設け、それぞれ説明をさせていただいたのです。

その人形のブースを父が担当したのですが、ダイアナ妃は海外の方ですから、たぶん握手をするだろうという話をあらかじめ聞いていて。

それならば、その手を洗わずに帰って来てほしいと家族の誰かが父に頼んだのです。そうしたら、本当に手を洗わずに父が帰って来てくれたので、玄関先で家族が代わる代わる握手をした。私が父と握手したのは、たぶんそれが最初で最後です(笑)」

お客様のニーズを見ながら商品作りに取り組んでいくことが大切

自分は自分の任されたことを一生懸命やり、次の世代に繋げる

ーー吉德は、日本の伝統を守る一方、ダース・ベイダーシリーズなどはもちろん、歴史的に見ても人形のセット売りや人形店として初めてショーウインドウを設置するなど、非常に革新的なこともなさってきた会社だとお聞きしました。そういった新たな挑戦も、今後も引き続き行っていくお気持ちはおありでしょうか?

「挑戦はしますし、古いスタイルに固執するつもりは全くありません。ただ、何でもかんでも変えてしまおうと無理に挑戦する必要はないとも思っています。

さまざまなキャラクターとのコラボレーションを行い、ダース・ベイダーシリーズも生み出したように、新しいことに対してハードルを上げ、かたくなに旧スタイルを守り続けることにあまり意味はないと思います。かといって新しいことをしなければいけないと先走り過ぎても、果たしてそれは、お客様に支持されることなのか疑問が残ります。

ダース・ベイダーシリーズのような突出したものも必要だとは思いますが、ひな人形や五月人形は子供ひとりに対して通常ひとつしか買わないものですから、お客様が売り場に来て行うのは、たくさんある中からひとつに絞る作業なのです。その結果、どうしても奇抜なものを選ぶという冒険的なことは避けて若干保守的になる傾向がある。それだけにメインの商品に関しては、新しいものを考える際も半歩ずつくらい進んでいくことになるのです。

もちろん変わり続けていることは間違いないのですが、極端に変わることはない。急激な変化をお客様が受け入れてくれるとは思えませんから。ですから、変わることだけ目指すのではなく、やはりお客様のニーズを見ながら商品作りに取り組んでいくことが大切だと思います」

吉德のひな人形、五月人形に少しでもご興味をお持ちいただけましたら、
下記よりお近くの店舗をご検索いただき、ぜひ一度足をお運びくださいませ。

大反響を呼んだコラボレーションの制作秘話……
「反響が大きく、まさに嵐のような日々だった記憶があります(笑)」