嵯峨人形

 嵯峨人形とは、木彫の人形の衣裳部分に胡粉をこまやかに盛り上げて文様をつくり、その上に金箔押をし、極彩色を施した人形のことです。そのルーツは定かではありませんが、京都・嵯峨に住した仏師が余技に製作したとも、精巧美麗な細工への賛辞として「嵯峨」という美称が用いられたともいわれます。

  嵯峨人形の題材は、本品のような首振り・舌出しからくりを仕込んだ童子をはじめとして、吉祥をあらわす福神、町方の風俗を表したものなど様々ですが、現存する遺品から、その主要な製作期はおよそ江戸前期から中期にかけてと考えられ、寛永から寛文期(17世紀中頃)および元禄から享保期(17世紀末~18世紀前半)の風俗との共通点が指摘されます。

  しかし、極めて手間の掛かる技法からか、その後は廃れてしまったらしく、数少ない住時の嵯峨人形は明治以降、古美術や時代人形を愛好する人々の間で、特に珍重されるところとなりました。

  本品は、彫刻家・高村 光雲の門下で、古製嵯峨人形を研究し、その技法の復活に努めた鈴木 慶雲の作品です。彫技はもちろん精緻な彩色まで、古製に劣らぬ見事な出来栄えを示しています。