吉徳これくしょん vol.14

 
栃木の郷土羽子板

 現在では、羽子板というとすぐ「押絵羽子板」が連想されますが、昭和戦前までは各地で地方色豊かな様々な羽子板が作られていました。

  生まれた子どもが女の子の場合、その「初正月」に健やかな成長を願って、祖父母や親戚、知人から羽子板を贈る風習が古くからあります。江戸時代の上流階級では、金箔貼りに極彩色という贅沢な羽子板を贈っていましたが、子どもを想うこころは誰しも同じこと。庶民もこれに倣い、身近な材料と簡単な技法で作られた羽子板を贈答に用いました。

  それらの作り手の多くは町の人形師や、絵馬や凧を手掛ける職人たちでした。彼らは求めに応じて羽子板を作りましたが、大衆に支持されるためには安価であると同時に、土地の人々の好みが反映されたものでなければなりません。こうして彼らが何代にも亘って完成させた羽子板は、技の修練の結果であるとともに、これを求めたその土地の人々の心そのものといっても過言ではないでしょう。

  しかしながら、これらの「郷土羽子板」は明治以降、時代の流れとともに初正月の風習の衰退や都会からの移入品に圧されて、次第に廃れていきました。なかには、現在も「郷土玩具」としてその名残を留めているものもありますが、ほとんどはきらびやかな押絵羽子板の陰に隠れて、土地の人々の記憶からも忘れ去られています。

  栃木地方では明治後期頃を中心に、杉板に泥絵具で福神や美人図などを描いた大型の飾り羽子板が盛んに作られ、初正月の贈答に用いられました。民画独特の味わい深い筆法とともに、こうしたものを育んだ人々の温かい心が伝わってきます。

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