吉徳の歴史

江戸名所図会(ずえ) 巻之一「十軒店(じっけんだな)雛市」の図

この図版は、江戸名所図会(天保5年・1834年刊行) 巻之一「十軒店(じっけんだな)雛市」の図で、画家 長谷川雪旦が描いた、有名な日本橋十軒店の雛市の賑わいの情景です。
上部には松尾芭蕉の句「内裏雛 人形天皇の 御宇かとよ」が記されています。
軒先に張りめぐらした幕に、吉徳(山田家)の家紋・三蓋松(さんがいまつ)が見え隠れしていることから、この頃すでに、ここに常店(じょうみせ)を構えていた吉徳(創業120年頃)の店先であることがわかります。なお、「雛人形手遊(てあそび)問屋 吉野屋 徳兵衛」の朱印は、吉徳に代々伝わるもの。江戸時代には玩具のことを手遊びと呼んでいました。

元禄15年(1702) 松尾芭蕉「おくのほそ道」刊行。赤穂義士の討ち入り。
宝永4年(1707) 霊峰 富士山の宝永大噴火により、宝永山が生まれる。
正徳元年(1711) 吉徳創業
現在地、江戸浅草茅町に初代治郎兵衛が人形玩具店を開く。徳川六代将軍 家宣公より「吉野屋」の屋号を賜わる。以来「雛人形手遊問屋」として吉野屋治郎兵衞を名乗り、その名は江戸の古文書にも記録されている。六世以降は「徳兵衞」と改名。当主は代々その名を継承し今日に至る。(同年、家宣公の命で、隅田川で初めての花火を鍵屋が打ち揚げる)
享保元年(1716) 徳川八代将軍に吉宗公が就任。
宝暦11年(1761) 創業50年を迎える。
1787年〜1789年 1787年 アメリカ合衆国 誕生。1789年 フランス革命 勃発。
文化8年(1811) 創業100年を迎える。
天保4年(1833) 歌川広重「東海道五十三次(日本橋 朝之景 等)」の刊行開始。
天保5年(1834) 江戸名所図会(長谷川雪旦 挿図)巻之一刊行。
文久元年(1861) 創業150年を迎える。
明治6年(1873) 新政府の五節句廃止令に対し、八世が敢然と節句品販売の存続を陳情。廃止令を覆し業界を救う。
吉野屋 徳兵衛の略称「吉徳」を正式社名とする。
明治20年(1887) 明治20~30年代、九世が近代的な正札販売に踏み切る。これを端緒として三十年代より三越をはじめ各百貨店との取引が開始される。
明治40年頃 店舗新築、当時としては、斬新なショーウインドを設ける。
明治44年(1911) 創業200年を迎える。
大正12年(1923) 関東大震災で店舗を失う。十世の元、人形専門店として再建をはかる。
昭和2年(1927) アメリカの「青い目の人形使節」に対し、文部省の委嘱で十世が指導者となり、答礼人形を企画製作、日本人形の国際的評価を高める。
昭和5年(1930) 人形芸術運動の気運を後援して、石井柏亭、笹川臨風、西沢笛畝の各氏らと共に、十世が「童宝美術院」を設立。例年三越を会場に公募展を開く。
昭和8年(1933) 「日本人形研究会」設立。十世が会長となり、作家の育成に当たる。後年人間国宝となった人たちもここに学び、人形の美術界進出を実現させた。
昭和16年(1941) 太平洋戦争に突入。戦時中の物資統制下、政府から「技術保存」の指定を受ける。以後、終戦まで十世は工人たちの生活を守るため、私財をなげうつなど多くの苦心を重ねた。
昭和17年(1942) 十世「日本人形史」を刊行。文部省推薦図書となる。
昭和20年(1945) 東京大空襲により店舗を消失。終戦。運輸省の要請で設立された国際観光土産品協会のメンバーとして、この頃より海外にも製品を多数輸出する。
昭和22年(1947) 父祖の地、浅草橋に店舗を再建、営業を再開する。
昭和28年(1953) NHK、テレビ放送開始。
昭和31年(1956) 業界にさきがけ植毛ビニール人形「パティードール」発売。またこの年から カール人形、ぬいぐるみ等の分野に進出、NHK幼児番組のキャラクター等を手がけ始める。
昭和35年(1960) 吉徳は戦前戦後を通じ宮内庁の御用を承る。徳仁天皇ご誕生の昭和35年にもご注文を承り、以後も幾多の品を納入。
昭和36年(1961) 創業250年を迎える。
昭和39年(1964) 東京オリンピック開催。
昭和40年(1965) 「人形は顔が命」のキャッチフレーズにて、業界初の雛人形TV CMを開始。
昭和45年(1970) 大阪で日本万国博覧会 開催。
昭和49年~(1974~) この頃から戦前アメリカに渡った答礼の日本人形が相次いで修理のため吉徳に里帰り。現在も十二世が責任者となって修復にあたっている。
昭和53年(1978) 吉徳これくしょんの「安政の象牙雛」が着目され、江戸きめこみ人形が通産省の伝統的産業工芸品に指定される。
昭和54年(1979) 東京で百年以上続く老舗の会「東都のれん会」加盟。
昭和55年(1980) 資料室開設。
昭和57年(1982) 日本経済新聞文化欄に、人形研究家として数々の著作を持つ十世の『私の履歴書』が連載される。
昭和59年(1984) 山田忠男が徳兵衞を襲名。吉徳代十一世となる。
昭和60年(1985) 吉徳ひな祭俳句賞の一般公募を開始。以後、毎年公募を続けている。十一世が編者となり資料図録『吉徳これくしょん』を刊行。
昭和61年(1986) 英国王室ダイアナ妃殿下の来日に際し、十一世が迎賓館で日本人形の製作等をご説明申し上げる。
昭和64年(1989) 元号が平成となる。皇后陛下のご用命で日米親善人形「朋子」を制作。十一世が「人形に感謝する会」実行委員長となり、「明治神宮人形感謝祭」を開催。以後毎年秋の恒例行事となる。
平成3年(1991) 創業280年を記念して「日本の人形展」を銀座三越で開催。秋篠宮、常陸宮両妃殿下ご来臨の栄に浴す。十一世が編者となり『図説日本の人形史』を刊行。
平成6年(1994) 皇后陛下のご用命で、ボストン日米協会設立九十周年記念の日米親善人形「友子」を製作。
平成13年(2001) 創業290年を記念して日本橋三越にて「日本の人形展」を開催。十一世の『語りかける人形たち』を刊行。
平成22年(2010) 現社長 山田純一郎が、山田徳兵衞を襲名、吉徳十二世となる。
平成23年(2011) 創業300年を迎える。
吉徳創業三百年を記念し日本橋三井記念美術館にて「吉徳これくしょんの名品展」、銀座和光にて「日本の人形展」を開催。
平成26年(2014) 新本社ビル落成。
令和2年(2020) 江戸で最古の人形の老舗(みせ)として現在に至る。
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